全タイなどとの違い。服が語る「属人性」

なんか、哲学的な物言いになっちゃうんですけど。僕ら、たてセタを見てる時って一体何を見ているんでしょうね? ただの衣類なのか、それともその下の肉体なのか。

ああ、やっぱり「透かして中のものが見えているような気がする」……あの感覚ですよね。脳が勝手に補完してくれる、あの絶妙なラインの美学。

「気がする」は大事かもですね! でもそうなると、ラインを見せるだけなら究極「全身タイツ」でもいいわけじゃないですか。密着度で言えば全タイの方がよっぽど上だし。

うーん、それが決定的に違うんですよ。全タイは圧倒的に「情報量」が足りない。


情報量?

そう。さっき陰影の話をしましたけど、全タイって環境光をめちゃくちゃ計算して、バキバキに影を落とさないと、ただの「平面の塊」に見えちゃうんです。どこの部位がどういう角度で曲がっているのか、パッと見で直感的にわからない。

あー、確かに。全タイだと「ただのツルツルした物体」になっちゃう時がありますね。

そうなんです。でも、たてセタならリブという「線」が最初から入っている。あの線がグリッドとなって、どんな光の下でも、肉体の起伏や歪みを強制的に教えてくれるんです。

なるほど……「等高線」が最初から印刷されてるようなもんか。

まさに。だから脳が三次元として認識しやすいんですよ。

なるほどなあ。じゃあ、全タイガチ勢が求めてるイメージの「触覚的な一体感」とは、また別の回路を刺激してるわけですね。

全タイの本質って、どちらかというと「属人性を極限まで下げる行為」だと思うんですよね。あくまで無機質な物体として楽しむというか。でも、たてセタはその真逆で、「中の人」がいることが絶対条件なんです。

それ! 僕がよく「物語を食ってる」って言ってるのは、そこなんです。

そう、属人性こそが最重要。エロにおいて、そこに「どういう人が、どういう文脈で着ているのか」が乗っからないと、オタクは深く興奮できないんですよ。

セーターを着てる時点で、方向性が決まりますもんね。主婦なのか、OLなのか、清楚系の学生なのか。


体型や色、周りのシチュエーションで、いくらでも妄想の肉付けができる。これが全タイでやろうとすると、お互いの属性が共食いして「何を見ればいいの?」って混乱するんですよ。

あー、確かに(笑)。全タイの顔隠しでセーラー服着てるみたいなのは、あれはあれでアリだけど、純粋な全タイのベクトルとは違うとか?

そう、それこそ全タイ警察が出動しちゃう(笑)。「それなら透明人間でよくないか?」って話になるでしょ。

全タイ好きもその中で細分化されてたりはするんでしょうけど、僕が求めてるのはキャラクター性やバックボーンが見える中での肉体の等高線なんですよ。それこそ「気がする」レベルでいいんで。

僕も同じです。昔は主婦のイメージが強かったですけど、今はできる女性のシャープな私服だったり、カジュアルなものだったり、ニットワンピだったり。ジャンルとしての幅が広がったのも、たてセタが生き残った理由だと思いますね。
脱がれたら意味がわからない。フェチのストーリー性

以前、AV女優のたてセタ写真集を撮った時、女優さんにフィッティングで「今日ってどこまで脱ぎますかね?」って真顔で聞かれたんですよ。

あはは(笑)。現場のリアルですね。

僕が「いや、一切脱がないです」って言ったら、「えっ、そうなんですか!? 今日このためにめちゃくちゃ綺麗に処理してきたんですけど……」って困惑させちゃって。

素晴らしいプロ意識だけど、今回はその毛を処理した肌は見せないからね(笑)。でも本当に、脱がれると困るんだよなあ。

そう、服の隙間から「ギリギリ見えない」のがいいのに、そこで全脱ぎされたらコンセプトが崩壊するんですよ!

そうそう、意味がわからなくなっちゃう。「じゃあ何だったんだよこれまでの時間は」ってなる。

あの「見たいのに、見せられたら違う」っていう葛藤。このフェチの矛盾をどう処理するかが、作品のクオリティに直結する。特にその気になれば別作品では裸が見られる女優さんだからこそちょっとそこはプライド持ってというか。

僕もエロ漫画を描く時、上半身をいつ脱がすか、あるいは最後まで着たままでいかせるか、毎回ものすごく計算しますから。

さっきちょっとかっこつけましたね俺(笑)。
まあもともと事務所と「脱ぎません」で話してるから僕の一存で「脱げるなら脱ぎましょう」で脱がせると怒られちゃう!(笑)
そういうのだと僕が当時のTwitterで見てた、AVのたてセタ作品だけをストイックにレビューしてる人がまさにそこのプライドすごくて「着ハメ100パーだから何点」「たくしあげだから何点」とか。

「脱いでるから減点」とかね(笑)。

そう、脱がずに、たくし上げて胸を出すのは「必然性があればOK」みたいな。結局「ストーリー」を求めてる人が多いんですよね。


そうですよ。何の意味もなくパッと脱がれると裏切られた気分になる。昔のコスプレビデオってすぐ衣装を脱がせて水着にしてましたけど、今は「その衣装を着ていることに価値がある」ってことが認知されてる。たてセタも完全にその領域に達しました。

とあるときにたてセタパトロールしてたら「たてセタ」ってタイトルについたAVが出て「ついにここまで!」って思ったんですけどよく見たら監督が友人で(笑)。
「なんだよお前も俺のたてセタ爆弾に影響受けたんじゃん」って(笑)。


その後もAVのタイトルとか煽りに「たてセタ」って使われること増えましたもんね。ジャンルと言うか、どういう質感かを説明するのに「たてセタ」って言われるだけでどういうものか想像できるようになってきてる。

しかも、コスパがいい(笑)。街中をボンテージで歩いてる人はいないけど、たてセタなら日常に何人もいる。

そう、日常に溶け込んでる。ただ、あまりに広まりすぎて「変な目で見られる服」として認知されるリスクもゼロではないですね。

警戒されちゃうと元も子もない。
まあ僕は写真集でたてセタで緊縛したりリッピングしたり色々してきてますけど(笑)


でも現状はまだ大丈夫。オタ業界では当たり前ですけど、一般社会ではまだ「ただの暖かい冬服」っていう認識のままだったりフォーマルな服装として認識されてる部分もある。この絶妙な温度感が、今のたてセタを守ってる。

名前がないと個体認識できないっていう先生の言葉、本当にその通りですね。僕らは2009年に、先生が「たてセタ」という輪郭を与えてくれたおかげで、今日こうして熱く語り合えてるんだ。

まあ、言い続けてみるもんですよ(笑)。これからも誰かが理想のたてセタを供給し続けてくれるはずなので、未来は明るいですよ。
やー、最高に濃密で楽しい時間だった。
正直、創造主である刻田先生を前にして緊張していたが、始まってしまえば「大好きなものについて語り合う楽しさ」が勝り、熱い無駄話になった。これこそがやりたかったことだ。
これまで一人で「このリブのラインはたまらない」と画面越しに感じていた情熱が、刻田先生というフィルターを通すことで、鮮やかに言語化されていく。脳内の隠しフォルダを全部開いて、一緒に整理整頓したような感覚だ。
「AIの判定をスリ抜けて日常に潜り込む」「服が語る属人性」といったキレキレの構造学を聞いて、深く掘り下げる面白さを改めて実感した。ただ、僕らが掘り下げれば掘り下げるほど、「わかってて当たり前」という熱量が節々に滲み出てしまうのは反省点かもしれない。
今後は、達人だらけの掘り下げだけではなく、「興味はあるが詳しくはない」という、その沼の入り口にいる人たちも交えて話せる場を作りたい。たてセタに限らず、様々なジャンルで新鮮な化学反応を起こしてみたい。深淵を覗き込むのとは違った新しい発見があるはずだ。
自分の「好き」を個人的なこだわりで終わらせず、一つの「文化」として語り合える同志がいることは心強い。
刻田先生、ありがとうございました。
刻田門大
シガニーはHN。刻田門大がPN。漫画家とかデザイン、デジイラ、デジコミ関係中心。絵はハイライト Pixivなどもやってます。好物は #たてセタ #縦セタ


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