著者:NUKITIMES編集部
取材:泉あき・dkr
画像:革工房あやめ公式SNS掲載画像/あやめの花イメージ:AI生成
アダルトの世界を支える作り手を訪ね、その仕事と素顔に迫る「業界職人列伝」。
今回は、革の拘束具や鞭、アクセサリーなどを手がける「革工房あやめ」を訪ねた。
聞き手は好評連載「フェチ沼の旅」でおなじみの泉氏とフリーカメラマンとしてさまざまな業界に通じ自身も幅広い性的嗜好を持つdkr氏。著者も同行し、あやめ氏のものづくりについて話を聞いた。
かわいらしい外見と道具としての確かな作り。
その両方を求める姿勢はどこから生まれたのか。二人が尋ねていくと書道、華道、ボーイスカウト、演劇の造形と一見別々に思える経験がつながっていった。
全3回の初回はその原点をたどる。始まりは屋号にもなっている「あやめ」という名前の話だった。

※対話は取材時の発言をもとに、テーマに沿って順序を整理し読みやすく編集しています。
目次
「あやめ」という名前に込めたこと。
会う前には名前や発信から性別がわからなかったという二人。それはあやめ氏が意図していたことでもあった。
インターネットを通した交流の中で相手の性別がわかった途端、言葉遣いや接し方が変わる場面を見てきたという。そこで性別がすぐには伝わらない名前を使うことを考えた。
dkr:そういったところは全部意図的なんですか?
あやめ氏:本当に意図的です。
泉:いいですね。意図的だったらちゃんと策略にはまっております。
ただし「あやめ」という言葉そのものとの出会いは、さらに昔へさかのぼる。
中学生の頃、同じ塾に通っていた年下の女の子からあやめの花が背景に散りばめられているような雰囲気だと言われた。その印象が長く残っていた。
あやめ氏:あやめという言葉をどこかで使おうと。
その後、大学で華道を始めたことで、言葉だけだったイメージが実際の花と結びついていく。いつか使いたいと思っていた名前が少しずつ自分の中で形を持ったのだ。
dkr:自分の人生の中にあったっていうことですよね。
名前の話から見えてくるのはその場で考えた演出だけではない。昔に受け取った言葉とその後の経験を自分の中で育ててきた時間だった。

一人で茶室を作りたかった
大学で華道部に入った理由にもあやめ氏らしいものづくりの発想があった。
ボーイスカウトでは屋外で物を作る技術に触れていた。昔から書道も習っており両親は茶道の先生もしていたという。
茶をたてて飲むこともできる。それならあと必要なのはなにかと考えた。
あやめ氏:あと足りないのは花だけだったんですよ。
道具を持ち込んで自分で茶室を作る。そこに文字を飾り花を生け、お茶を楽しむ。
実際にその計画を実行したわけではないというが身につけてきた技術を組み合わせる発想が面白い。
dkr:持っている全部が繋がってくるんですね。
あやめ氏:当時はね、もうたまたまでしたけどね。
そして、その経験は今の革製品にも生きている。革に文字を入れる際は機械だけでなくルーターを使って手で彫ることもある。
あやめ氏:手彫りはやっぱりちょっとかっこよく彫りたいってなった時にやっぱり書道のね。あの技術は未だに生きてますね。
華道については革と糸の配色を考える場面に話が及んだ。黒や赤の革に、どんな色の糸を合わせるか。異なる素材を組み合わせながらできあがりの印象を考えていく。
あやめ氏:できれば可愛い方がいいなっていうふうなところがあるので、可愛いにしても日常使いできる可愛いものがやっぱり作っていきたいなと。

かわいさと、作りの確かさの間で
あやめ氏は無骨な道具が持つ迫力や身につけたときの重さが気持ちに作用することも理解している。
その一方でかわいい革製品を見たときには、作りにもう少し工夫できる余地を感じることがあった。
あやめ氏:可愛いのにペラペラだなとか、ちょっとちゃちだなとか、もう少ししっかり作ったらもっと良くなるのにな。でも、もっとしっかり作っちゃったらお金が多分すごく上がるんだろうなっていうのも。
仕入れから製作まで自分で行うからこそ品質を上げれば価格にも影響することはわかる。求めているのはその間をどう作るかということだった。
dkr:そこのバランス感がすごい絶妙だなっていうのはずっと思ってて。
かわいいものを選ぼうとすると、作りに物足りなさがある。しっかりしたものを選ぶと、欲しかった雰囲気から離れてしまう。dkr氏は、その間に欲しいものがあったと話す。
あやめ氏:可愛い路線で高すぎないものをちょっと攻めていけたらなっていうのはあって、作れるものはチャレンジして作ってみようかなっていうところをやってきました。
素材選びでも革の仕入れ先とのやり取りを大切にしているという。革の特徴や状態について提案を受けながら何を使うかを考える。
製品を手に入れやすくすることと、素材としての革を楽しんでもらうこと。その両方を見ている。
使い込むことで変化していく革には買った後も付き合っていく面白さがあるからだ。

演劇の道具を作り続けた時間
ここでdkr氏が来歴について改めて尋ねた。
dkr:華道をやられてる頃までのご自身と、現在の革に対してしっかり向き合っているご自身の間ってどういう物語があったんですか?
あやめ氏:実は華道の話っていうのはちょうどね、ストーリーの真ん中ぐらいに位置してたんです。
ものづくりの始まりは中学生の頃の文化祭だった。家には日曜大工を趣味とする親の工具があった。のこぎりや金槌を使い手元にある材料で作ってみる。
その経験を覚えていた同級生から高校生の頃、演劇の道具を作れないかと声がかかる。
演劇部に所属していたわけではない。当時はテニス部だったが、道具作りを頼まれたことで舞台に関わるようになった。
あやめ氏:武器を作れる人がいない。道具を作れる人がいなかったんですね。
その後、大学生になってから同じ友人が再び声をかけてきた。今度は友人が所属する劇団の手伝いだった。
刀や剣、鎧、兜、盾。演目に応じて和風のものも、ヨーロッパ風のもの、ファンタジーの造形も求められる。
あやめ氏:エンタメなんでやっぱなんでもありなので。
こうした製作を、約15年続けたという。
そこで求められたのは単に物を完成させることではなかった。注文する側には舞台で見せたい世界がある。
dkr:存在しないものを求められるってことですよね。
あやめ氏:作って持って行ったら「イメージと違う」って却下食らうんですよ。
相手の頭の中にあるものをどう受け取り形にするか。この経験が後の革製品の注文に応える姿勢につながっていく。

革の前に、縄への関心があった
革の製作を始めたのは2011年。取材に向けて、本人が過去を確認してきてくれたという。
ただし、最初から革の拘束具や鞭を作りたかったわけではなかった。
あやめ氏:僕、緊縛がしたかったんですよ。縄の人なんです。そもそも。
ものづくりへの関心と緊縛への関心。その二つが重なっていた時期に、知人と訪ねた店で革製品を作る人と出会った。
師事した相手として挙がったのは「鬼丸堂」の「mame」氏。そこで、現在の製作にもつながる技術の一部を教わったという。その後、2012年からは独立して製作を続けることになった。製作活動を早くから応援し、今も協力し続けてくれている『丞夜倶楽部』をはじめ、数多くの人たちに支えられ、今に至るという。
書道から華道へ、演劇から革へと順番に別の世界へ移ったようにも聞こえる。しかし本人の説明は少し違う。
あやめ氏:順々に変わっていったんではなくてやりながら途中に追加されていった感じでイメージしていただけるといいなと思います。
何かをやめて次へ進むのではなく、続けているところに新しい経験が加わる。名前に花の記憶が残り革に彫る文字には書道が生き、注文への応え方には演劇の経験がある。
泉氏が感じる、日常にもなじむかわいさ。dkr氏が評価する見た目と作りのバランス。その背景には一つの分野だけでは培われない経験が重なっていた。
次回はあやめ氏が口にした「うちにはカラーがない」という言葉から、注文に応える仕事を掘り下げる。相手の求めるものを形にする。その姿勢を二人の聞き手はどう受け止めたのだろうか。

革工房あやめは、革の拘束具や鞭、アクセサリーなどを手がける革工房。かわいらしさと道具としての確かな作りを両立し、日常にもなじむ作品を製作している。
今回紹介した作品以外にも、個性豊かなアイテムを数多く手がけている。ぜひ下記Xの宣伝用アカウントから、その他の作品も見てほしい。きっとお気に入りの一品に出会えるだろう。
革工房あやめ
公式X:@haruka0848
公式Bluesky:@ayamedou.bsky.social


コメント